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■井村先生の
オーケストラ
指導

 







第9」への想い   プログラムへの井村誠貴先生のメッセージ

 初めて「第9」を聴いたのは、確か小学4年生の頃だったかと記憶している。なんだか分からないけど沢山の人たちがステージにいっぱい居て、なんだか解らない言葉で歌っている・・・。それが初めての「第9」の印象だった。ただ、判らないなりにも「凄い!」って事だけは解っていた。そして時が流れ小学校の卒業を控えた茶話会。卒業記念に、6年生全員で「喜びの歌」を合唱した。「晴れたる青空〜」である。そして、その合唱を指揮したのが、紛れもなく自分自身だった。その指揮こそ、私が人生で初めて指揮をした瞬間であり、同時に「指揮者になりたい!」と夢・憧れを抱いた最初の瞬間だった!

 あれから28年、ついに40歳を迎えたこの2010年の今日、私は彦根のこの地で「第9」を指揮させて頂ける。こんな幸運な事はそうそうない。指揮者にとって、「第9」を指揮するというのは、ある意味大変特別な事でもある。今や日本の年末風物詩となった「第9」も、若い頃の自分には「あぁ、またこの季節が来てしまったかぁ・・・」と少々うんざりしていた。何故って?多くの方に言われるんですよ!「12月だね!指揮者だから年末は第9で大忙しでしょ!?すごいよね!かき入れ時って感じでしょ!!」・・・そんな訳はない。若い指揮者にそうそう回ってくる仕事でもないし、ましてや、その年を締めくくる大切な演奏会に、無名の指揮者をわざわざ呼ぶ団体なんてない。町でポスターを見かけても、どこからともなくメロディが聞こえてきても、「自分には関係ない・・・聞こえない・・・」なんて言い聞かせていた。だから「第9」は苦手だった。

 そんな若手(今も若手ですが!)時代の想いを払拭して下さったのが「ひこね第九オーケストラ」だった。記憶では98年の第1回、第2回と副指揮者として参加させて頂いた。そして、初めて「第9」を指揮(もちろん練習ですが!)させて頂いたのが、このオーケストラだった!嬉しくて!飛び跳ねるような想いで練習したのを、今も深く記憶しています。それからは、「第9を振りたい!」と思うようになりました。程なくして、2000年、淡路花の万博が開催され、4楽章を指揮。300名を越える合唱団を前にどれほど興奮したものか!「あぁ〜全楽章を指揮したい〜!」と思った矢先、直後の仕事中に指揮棒が耳に突き刺さるという前代未聞のアクシデント!右耳の聴力を完全に失い「もう、指揮者として、やっていけない・・・」と覚悟。指揮者として最後のステージに立ったのが「第9」になるのか・・・なんて因果な作品。ベートーヴェンじゃあるまいし、耳まで失って・・・。絶望の淵に立たされたが、半年を過ぎた頃から聴力も次第に回復。また音楽が出来る喜び。指揮をさせて頂ける喜び。やはり自分には、これしかないんだ!いじけている場合じゃない!前に進もう!そんな事を思うようになった2006年、「阪神・淡路大震災10周年記念事業」の一環としてオーケストラ・ソノリテ第10回記念演奏会で、念願の第9全曲を指揮。願えば叶うものである!

 そして、指揮者生活20年目を迎えた今年、「思い出の彦根」で、いよいよ今日指揮をさせて頂ける。今は「嬉しくて!飛び跳ねる!」ような想いではありません。「感謝」そして、私を支えて下さる多くの方への想い、共に音楽が出来る幸せ。そんな想いを指揮棒に乗せ、振りたいと思います。

 私にとって「第9」は人生のマラソン。喜びは、悲しみの中から生まれ、悲しみ・苦しみを多く知るものに最大の喜びをもたらしてくれる。人生のゴールは何時なのか誰にも判りません。節目節目で私を支えてくれた「第9」に感謝し、私らしい「第9」・・・「ドラマチック第9!」を完走させたいと思います。情熱・パワー・アグレッシブ、そして「愛」。湧き出る汗は、私の愛の結晶!すべてのエネルギーを、この演奏会に注ぎ込んで指揮したいと思っています。