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■井ア先生からひこね第九
演奏会への
メッセージ

本日の第九演奏にあたって

指揮者  井ア 正浩            

 ひこね市民手作り「第九」演奏会」も今回で第8回目を迎えるそうで、これまでたくさんの方がご来場され毎回の第九演奏をお楽しみになられたことと思う。私は指揮者として今回の第九演奏に招いて頂き、これまでずっと演奏してこられたオーケストラ、合唱団の皆さんに、ベートーヴェンの演奏について再検証して新しい印象を持って頂きたく、今回は『ベーレンライター新校訂版』による演奏をご提案した。

そもそもこの『新校訂版』とは何か? 今回使われる楽譜は、従来各オーケストラでずっと使われ続けてきたブライトコップフ社のものでない、ベーレンライター社が1996年に出版したスコアとパート譜、合唱譜である。ベートーヴェンが今から180年以上も前に作曲したこの偉大な作品、これまで日本では年末になると日本中のオーケストラがこぞってプログラムに取り上げていたこの大交響曲の楽譜が、なぜ最近になって見直されるようになったのか不思議に思われる方も多いだろう。これには生前のベートーヴェンの時代からの複雑ないきさつがある。 

 この作品が完成されてから、すぐに出版のために浄書師が筆写をしたそのスコア(オーケストラの全ての音符が書かれた総譜)に、ベートーヴェンは膨大な加筆修正を加えている。そのため新たに筆写師が加わり作業が進むが、その中にも多くの見落としやミスが含まれており、スコアはそのまま出版。その後演奏用にパート譜(各楽器ごとの音符だけが書かれた楽譜)も完成されるが、ベートーヴェンはそれにも訂正を指示。演奏会前の実際の練習に立ち会った際には、その現場でさらに変更。さらにはこの頃に発明されているメトロノーム(演奏速度を表示・測定する器具)によるテンポを甥っ子に伝え、そのメモを出版社に送らせる・・・・。お分かりになるだろうか? この作品は出来上がってからも細かな修正が加えられ続け、あらゆる場面で異なる楽譜が存在したことになるわけで、しかも統一される前にベートーヴェンはこの世を去っているのである。 

 時を経て現代に至るまでに、この交響曲はあらゆる巨匠や名楽団によって演奏され続けてきたが、作曲者の生前にはそれまで構造上の制約で決まった音しか出せなかった楽器が発達を続け、楽団の中の演奏者の数は初演の頃の倍の人数にも膨れ上がった。ベートーヴェン以降の、例えばワーグナーのような後世に影響を与えた作曲家が「第九」の(不完全と思われる)楽譜に手を加えて演奏するようになったものだから、そうすることが当たり前のような伝統が延々今日まで生きているのである。したがって我々が一般的な「第九」演奏会で耳にする演奏は、(ある意味ではそういう伝統?!に則ったとも言える演奏だというわけで)それが本当にベートーヴェンの思い描いた演奏なのか?というのが研究者によって疑問視され続けてきたのである。 

 しかし、もちろんそれは研究者だけの問題ではなく、実際の演奏者にとっても大きな疑問である。明らかに演奏不可能なくらい速いテンポの指定(メトロノーム速度)はともかくも、このオケではここはメロディーにホルンを足して演奏するかしないかとか、トランペットを木管とダブらせるかどうか?という楽譜の指定外のことが問題になり、指揮者の気分や勝手な理論で理不尽な「間」をとったり演奏上の変更が行われたりなど、独自の「○○版」があまりにも多いのである。こうした多くの??に対して、ひとつの答えを見出すきっかけになったのが、新しく出版された「ベーレンライター社新校訂版」なのである。 

この版を用いて今回オケの皆さんと取り組んだ演奏は、それはただ新しい楽譜をそのまま演奏するだけでは済まされない、<演奏解釈>上の数多くの新たな疑問をはらむものだと考えている。現代の発達した楽器で演奏した場合、この音符の取り扱いはどうする? ベートーヴェンの生きていた時代の音楽はバロック音楽時代の古楽から来たもので、ロマン派以降の演奏スタイルではない? テンポの設定や声楽との関係は …従来のスタイルでのオーケストラ演奏経験の多い団員の皆さんにとっては、その解釈で演奏すること自体にかなり抵抗感のある挑戦だったと推察している。しかし今日皆さんの持つ技術や合奏能力といったものを最大限に発揮しながら限界に挑戦する中で、私はその真を今日の演奏を通して披露し、来場のお客様に問いたいと思っている。これまでの第九を聴き慣れた方にとっては、その響きや雰囲気の違いに驚かれる方もおられるに違いない。しかし、その新鮮な驚きこそが作曲者ベートーヴェンが求め続けた(従来になかった!)革新性や前衛性だと私は考えている。

(いざき・まさひろ)